〜対談企画/東京コンサルト創業者 村井泰氏 ×ビューティーナビ佐々木亮輔対談企画 『(株)東京コンサルト創業者村井氏が40年を振り返る!!』

東京コンサルト創業者 村井泰氏 プロフィール
昭和6年東京生まれ。41年5月に㈱東京コンサルトを立ち上げる。 その後、㈱リクルートと提携し、求人事業を主力に約40年間経営に携わる。 特に美容室、歯科の求人事業に力を注ぎ、美容室の顧客件数は約3,000社を数える。 “仕事はワクワク楽しく”の経営理念を生みだした人物でもある。 平成20年9月末に相談役を退任。
ビューティーナビ株式会社取締役 佐々木亮輔 プロフィール
昭和45年8月31日生まれ、ビューティーナビ株式会社取締役。8年前から全国各地の美容室、ディーラー、メーカーを訪問し、美容業界にITを活用した提案を行う。現在に至るまで『ビューティーナビ』を含め、3つの美容室検索サイトの運営に携わる。業界のインターネット事情に詳しい。

[blog : Beauty-Navi 佐々木亮輔の美容室訪問記]

対談 CONTENT

  1. (株)東京コンサルト創業秘話
  2. 企業理念“仕事はワクワク楽しく”誕生について"
  3. 35歳までネガティブだった自分を変えたきっかけとは?
  4. 経営危機に直面!!
  5. 経営者としての村井氏
  6. 従業員に送り続けた愛のメール
  7. 40年、経営に携わって…40年を振り返って今思うこととは?
  8. これからの人生について
  9. 全ての人々に伝えたいメッセージ

1 (株)東京コンサルト創業秘話

1-1 東京コンサルトを立ち上げた経緯

佐々木
今回の対談は、(株)東京コンサルト(ビューティーナビ(株)の親会社)の創業者である村井さんに、今までのすべてを語って頂き、多くの方にとって永遠に残るメッセージとして語り継がれるというのが目的です。色々なお話をお聞きしたいと思いますので、よろしくお願いします。
 まず最初に、東京コンサルトを立ち上げる経緯についておのお話をお聞きしたいのですが、以前聞いた話だと、当時の“流れ”で創業した聞きましたが、実際どうだったんでしょうか。
村井相談役
まさに流れでした。
創立記念日は、昭和41年5月11日。これは登記をした日で、実際はその前の年、昭和40年9月頃から創業したと言っていいと思います。その頃どんな事情で、東京コンサルトという会社を立ち上げたかというと、昭和40年4月に、私のお客様だった方から相談がありました。「実は、今度広告会社を自分が経営することになったが、何にも分からなく困ってるんだ」と。そんなに大きな広告会社ではなかったのですが、内勤と営業合わせて10人程で運営していました。私は当時、他の広告会社に勤めてたのですが、そこを辞めて新しい会社に営業部長という形で来ないかというお誘いです。とは言え、オーナーは全くの素人でほとんど会社に来ないから、自分で采配をふるわざるを得なかったのです。
昭和40年というと、その前の年、昭和39年は東京オリンピックがありました。それまで、日本中はとても景気が良かった。なぜかというと、オリンピックに向けて、高速道路、新幹線と国がお金をつぎ込み、オリンピックに日本が沸きに沸いていた。この前の北京と同じように。しかし、オリンピックが終わった途端、その活気がしぼんでしまった。昭和40年というのは、後で言う「40年不況」という不況でした。
村井相談役
 その中でも、中小企業というのは慢性的な求人難が始まった頃でした。若い人がみんな、できれば大企業に入りたかった時代で、こう言うと失礼かも知れないですが、中小企業は落ちこぼれやどこも相手にしてくれないような人しか来ない。当時は、そういう時代でした。
 その後、40年不況になりましたが、私のいた会社は、程々に黒字でした。しかし、何とそのオーナーの会社が潰れてしまいました。恐らく、他の事業(町金融)の方が資金繰りが悪くなり、焦げ付いてしまったのではないかと思いますが。

1-2 創業時の苦労したこと

佐々木
親会社が倒産してしまったのですか。
村井相談役
ええ。そのオーナーの親会社です。資金繰りが悪くなり、オーナーが会社を放り出してしまった。そして、私が継がざるを得なかった。だから、あまり勇ましい話ではありません。もう希望に燃えて、夢に燃えて会社を…という、企業を興したのなら、人様に話しても勇ましいけれど。仕方がないから、その後始末を引き受けたという形でした。
 ただ、資本はゼロ。借金はごっそりとありました。ただ、なぜそのまま運営できたかというと、それまで膨大なDMをまいていた。そこから、毎日何本も電話が入ったのです。「広告出したい」と。
佐々木
当時はDMの反響があったのですね。
村井相談役
反響はありました。DMの発送だけで良かった時代もありました。それだけ、まだ求人広告の競争社がいなかったのでしょう。DMという当時では、非常にユニークな方法を開発したのが利益に繋がりました。それが可能だった時代でしたね。その後、完全にオーナーがいなくなり、私が全てを引き受けました。しかし、同時に、何人もの人が「もう駄目だ」と辞めてしまいました。そんなことがあり、残った営業一人と始めました。それでもまだ、潜在的なお客さんが付いてるから、電話は入っていたのです。そこを二人で手分けして回りました。忙しいのは、潜在的なお客様のところに行って、原稿を埋める作業でした。でも、今みたいな求人情報誌の原稿みたいに大きな枠のものじゃない。2行、3行の原稿でした。鉛筆と原稿用紙だけ持って行けばよかった。ぱっと書いて「いいですか」、「いいですよ」というやり取りでした。大したお金ではないですが、2,000円から3,000円前金頂き、領収書を渡し、会社に帰る途中、電車の中で原稿を清書していました。会社には帰らず、新聞社へ行って前金払って・・・その差がマージン=利益になる。そういうことを毎日繰り返していました。前金でいただいて、前金で払うという形ですね。
 当時は、前金といえばみんな払ってくれました。我々も必死になって前金で集金をお願いしていました。そうしないと会社やって行けないですから。そうやって始まったのが、東京コンサルトです。
佐々木
なるほど。村井さんの方は、起業した時は理想というよりは、仕方なく引き継いだということですね。その中でも、求人事業というのは、村井さんにとって、やりたい事業であったことは確かなんですか?
村井相談役
求人はやりたい事業でした。
私は昭和6年生まれで、日本が戦争に負けた時、満14歳でした。その後色々ありましたが省略し、大学出たのが昭和30年。本当は28年に出る予定が、2年落第したので30年に出ました。
その頃は、今と全く異なり求人難ではなく就職難でした。職業に就くか、就けないか。そういう選択肢しかなかった。会社を選ぶなどということは、とても出来ない時代でした。職業に就かないと飢え死にしてしまうから、今で言うフリーターになったわけです。日雇い労働の連続です。学生のアルバイト専門の斡旋を、文部省(現在の文部科学省)の系列の公の団体があって、そこが一生懸命行っていました。
佐々木
アルバイトを斡旋する、そのような場所があったんですね。今もありますか?
村井相談役
いや、今はもうありません。
私も当時、色々な仕事をしました。だから、仕事を履歴書に書ききれないぐらい。忘れてしまっているのもあります。履歴書は当時、すべて手書きでしょう。当時は仕事を変わるということは、良い印象を与えないから、すべて書くと今度雇ってくれない。書かないと年代の数字が合わなくなってしまう。面接官の「この期間、何をやってたの?」と言われたりしました。
 だから、仕事に対するトラウマ的な思い込みがありました。その頃、私は朝晩いつも考えてたのは、こういう風になったら自分はいいなという理想的な夢です。それは、1日中自分の好きな仕事をやる事。好きだから、一生懸命のめり込んでやる。例えば、よく好きな本読み始めると、のめりこんでしまってハッと気が付くと「ああ何だ、もう2時間もたっちゃった」と、よくそういうのあるじゃないですか。本ではなくても好きなことやっているときも同じで。もしそんな仕事に就くことができたら、どんなに幸せだろう。と思いながらよく電車に乗ったり、仕事に行ったりしていました。
 ところが、現実に仕事の場へ行くと、そんな甘い現実ではなく、好きな仕事なんて探す余地もないし、ほとんどが肉体労働でした。毎日こんな仕事をやっていたら理想的な仕事に就けないと思いました。夜ほっとして1日振り返りながら一杯の焼酎を飲んで、安らかな眠りに就く。そういうふうな生活ができれば十分だと思っていました。実に小さい夢でした。大きな夢も希望も持ってなかった。そういうことが、潜在意識に染み付いていました。
 だから、求人広告というのは仕事を求める沢山の人に、「色々な仕事が、こんな色々な場所で求めてる会社、商店があります」ということを知らせてくれるもの。これは、自分に合ってる仕事だと思ったわけです。
かつて夢で想像した自分の好きな仕事がこれだと気がつきました。非常にそれはラッキーでしたね。ちゃんと考えてそれを希望したんじゃなくて、偶然でしたが。ハッと気が付いたら、自分がその渦の中にいた。だから、これが自分の天職かなと。そういうふうに思ったんです。これが、創業した頃の気持ちです。
佐々木
村井さんご自身が希望される職種に就けなくて、それで悩まれていて・・・そのことをユーザー視点で起業したということかもしれないですね。正しい求人情報を見て、良い仕事に就いて貰いたいという、ご自身が願っていたことを他の人にも叶えてもらいたい。そのようなお考えもあったんでしょうね。
村井相談役
自分が苦労したようなことを他の人にさせたくない、他の人に手を差し伸べたいという考えがありました。求人広告は、表には出ないけど裏方でそれを支えられる、それは非常に良いことだなと思いました。そういう気持ちが強かったですね。

2 "企業理念“仕事はワクワク楽しく”誕生について

2-1 なぜ企業理念が必要なのか?

佐々木
先ずは走りだして、とにかく走り続けたという感じだったのですね。企業理念の「仕事はワクワク楽しく」。これが誕生したというのはいつ頃でしょうか?
村井相談役
企業理念を決めたのは、創業してからずっと後になってです。会社始めてからだいぶ経ってからですね。
佐々木
創業時に、決めたものではないのですね。
村井相談役
ええ。企業理念が必要だという気持ちはずっと持っていましたが、それを言葉にして、企業理念をこれにしようと思ったのは、ずっと後のことです。実は、企業理念とか、経営理念という言葉は、当時あまりありませんでした。よくあったのは社訓とか社是。そのようなものは、他の会社さんの応室などに張ってあるのをよく見かけました。
一番多かったのは、私が見た範囲内では「誠」。あと、平和の「和」。ところが、私はそういう社是とか社訓っていうのは、徹底的に嫌ってたんです。なぜかというと、これもまったく偶然ですが、ある会社で、「誠」と社訓が張ってありました。しかし、その会社は、わずかな広告料払ってくれなかったのです。「何が『誠』だ」と思いました。誠心誠意と言ってる割りに、やること全く違う。ものすごい反感持ったんです。多分、お金がなかったんでしょうね。その会社は今はもうないですが・・・ それと、「和」。この言葉自体は、非常にいい言葉です。ただ、私が出会った会社で、兄が社長で、弟が専務をやっていた会社がありました。その会社は「和」という言葉を社訓としておりましたが、兄貴と弟が大げんかして、そのうち会社がつぶれてしまいました。結局そういう社是とか社訓を掲げるのは、自分ができないことをみんな掲げていた。そんなように考えたのです。35歳までの私はネガティブだった。まだそのネガティブなところが残っていて、イレギュラーな考えが出ていました。
22年前に中小企業同友会という経営者の団体に入って、「経営指針」というものを、どんな企業でも、特に中小企業であればあるほどつくるべきだと言われました。なぜ大事かというと、「社長がこういう会社にしたいんだ、こういう仕事をして、世のため人のために役に立つ会社にしたいんだ」という思いを文化にしなさいと推奨していました。私は反感持ってたから、私の経験を中小企業同友会で話しました。「私はあんまり賛成できない。皆さん、綺麗事言ってるけど、本音は要するに儲けたいだけでしょう。できれば、将来自分が金持ちになって、豪邸を建てて、別荘か何かを造って。」と言いました。
佐々木
今の村井さんを知る人は想像も出来ないような言動ですね。しかし、綺麗事と言えば、綺麗事だと捉えることが出来るかもしれないですね。
村井相談役
その場は、しらけてしまいましたがね(笑)
 ところが、そんなことがあった後、日頃、自分が何回も「こういう会社にしようよ」と話していることを当時の古い社員に話していたら、まったく理解していなかったことが分かったのです。…愕然としました。その後、大反省をしました。素直な気持ちで、今度この経営指針作成の勉強会にまじめに出るようになりました。自分の思ってることを文章にして、語り、伝えようと思いました。そこから、自社の経営指針を自分で考えました。考えるとはいっても、分からない。早速、本屋に行って、『会社の社訓』のような本を買って読みました。その本は社是と会社名が並んでいる本でした。社是を見ていったら、一番多かったのは「世のため、人のためになる会社になる」というようなもの。二番目に目に付いたのは、「顧客第一」。当時、流行っていましたからね。顧客第一主義。ただ、私はちょっとひねくれいたから、それをみて綺麗事書いてるなと当時思いました。その本の中に、一つ目に留まるものがありました。それは、堀場製作所という会社の「おもしろおかしく」という社是。とても短いし他の会社にはない、変なのつくってるなと思いました。
 その会社の社長が名物社長で、京都大学の理系の学部の頃に会社を起業していました。学生企業で1号だと思います。堀場製作所というのは一般向けの商品をつくってないから、普通の人はほとんど知らない。でも、抜群に優秀な会社でした。それからもう一つは、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」というリクルートの社是ですね。
当時もうリクルートと取り引きしていたので、「江副さんはこんなことを考えていたのか」と思いました。
その2つが本を読んでいて、目につきました。
佐々木
なるほど、では、東京コンサルトの経営理念「仕事はワクワク楽しく」を決めたときはどのようなことを考えてつくりましたか?
村井相談役
「仕事はワクワク楽しく」というのは、まず短く分かりやすい。それから、もう一つ「仕事はワクワク楽しく」というのは、もちろんお客さん第一主義、そして世の中の人のために役に立つといういことも当たり前に含まれています。しかし、当時はそんなこと立派に言える会社じゃないから、敢えて、もう一つ手前の段階にしました。私達はサービスを売っています。もし社長をはじめ従業員全員が、毎日の仕事を楽しくワクワクとしてお客さんにサービス提供しなければ、決して質のいいサービスは提供できるわけはないと思ったからです。まず、我々自身が楽しくてなくてはいけない。あの頃は、皆が「CS、CS」と言っていました。「Consumer Satisfaction」顧客満足ですよね。それよりも「ES」、「従業員満足」この方が大事ではないのかと思いまして・・・。カタカナ名を使うより、もっと具体的に分かり易く「仕事はワクワク」にしました。特に、この「ワクワク」というのが重要です。ただ仕事は楽しいじゃなくて、「ワクワク」というだけで胸が躍るじゃないですか。大好きなことをやるときは、本当にワクワクしますよね。そのように仕事をすると、労働ではなくすわけです。
エジソンがこんなことを言っていました。仕事が楽しくなれば、単なる労働になってしまいます。労働というのは、キリスト教が人間に与えられた罪という先入観です。それが、本当に仕事が楽しくなれば労働ではなくなります。そのこと自体が楽しみなんだから・・・ 「仕事をワクワク」を同友会の勉強会で発表したときも、口では言わなかったけど、皆さんの顔つきを見たら明らかに馬鹿にしてましたね(笑)。皆、「何というつまらない理念をつくってんだ」という顔をしておりました。ただ、私はそれでいいと思いましたし、その経営理念を一貫したのです。
佐々木
顧客満足を重点に考える経営理念が主流であった当時では異色な経営理念だと言えるかもしれません。その中には村井さんの反発心も含まれているようにさえ思います。格好良い言葉ばかりならべないで本音を言えと・・・
村井相談役
反発心がものすごくありました。綺麗事は絶対やめろと。本音で語りなさいと・・・ 先程、話した堀場社長の話しに戻りますが、堀場さんの書いた本読ませてもらったら、社内で「おもしろおかしく」を経営理念にしようと言ったとき総反発食らったらしいですね。
佐々木
社内からも反対があったということですね。
村井相談役
「おもしろおかしく」なんてこんなみっともないこと、経営理念として言わないでくれ社員に言われたらしいです。その本の中には、堀場社長が社長を退いて会長になる時に、皆を集めて一つ頼み事を伝えました。「おもしろおかしく、これひとつ経営理念として堂々と発表しよう。私が社長辞めるという交換条件で頼む」という面白い話でした。そしたら、社員一同大笑いして、皆さん納得されたようです。社員さんが堀場社長のやり方、生き方、すべてを理解した様ですね。やはり、仕事は面白おかしくやればいい仕事ができる。それを知って、とても勇気をもらいました。

2-2 “仕事はワクワク楽しく”に辿りつくまで、何を考え、何を行ったのか?

佐々木
「仕事をワクワク楽しく」を経営理念にする前に、違う言葉が浮かんできたのでしょうか?それとも、ズバリ、これしかない!!と思われたのでしょうか?
村井相談役
原点は、私が本当にどん底でフリーターやってるころ、「仕事が楽しくなれば」とずっと思っていたことです。それを言葉にしようと思いました。そこで、幾つか(経営理念を)考えたと思いますが、何を考えたかは覚えていません。でも、やっぱり良かったと思えることは、「ワクワク」という言葉にしたことです。自分で自画自賛でしています(笑)。あと、人様に話して、他社でそのような経営理念を掲げている企業は一社もなかったという点も良かったことです。「変な経営理念だ」と笑われたことはありますが(笑)。
佐々木
少々、突っ込んだ質問をしますが、その当時、村井さん自身は、「仕事はワクワク楽しく」行っていたのでしょうか?経営者ともなると様々な問題も発生すると思いますが。
村井相談役
いや、実際は仕事はドキドキ、あるいはハラハラでした(笑)。その当時、決して苦しいとは思っていなかったですが、今振り返ると苦しいこともありましたね。例えば、明日給料日に社員に振り込めるお金がないとか。給料遅延はまだ1回もしたことないですが、寸前まで行ったこともあります。当時は信用金庫にお世話になってたので、お金を借りに行きました。そうすると担当者が、「もう散々貸し尽くしてるから、もう無理です。」と言われるのです。明日、給料日でどうしようもない。そんな時この財務諸表見て下さいと理事長に会いに行きました。理事長とは一緒にお茶飲んだり、旅行をしたことがあったので何とかならないかと思いまして。理事長は、「村井さん、何だい今日は?」といつものよう話しかけてくれました。事情を話したら、「うーん。出してやれよ。信用金庫というのは、そういうときのためにあるんだから」と言ってもらえましたね。理事長の許可が下りたから、融資担当者も出してくれました。その時は、まさにハラハラ、ドキドキでしたね。
佐々木
会社にお金がないという時には、待ってても何も起こらないですからね。あとは、どんなことをされたのでしょうか。僕もそんな危機を経験するかもしれないので、今のうちに聞いておきたいと思います。
村井相談役
まずは、長期の未収金を回収すること。これは本来は手元なあるはずのお金です。だから、未収金の回収というのは一番大切です。景気がいい時、資金繰りに苦労していない時は、どうしても未回収金を疎かにしてしまう。でも、小さいお金も、トータルに集めるとものすごく大きくなる。そういうものをまめに回収するのが大事だなと、その時はつくづく思いました。
佐々木
確かに自社にお金がないのに、他人に貸しててそれを回収出来ないとならと、回収をしなくてはとなりますよね。その辺の意識は僕達は薄いかもしれないですね。当たり前のことですが、自分のお金という意識を強く持たなければいけません。当たり前のことを徹底出来る会社は、やはり強い会社になっていきます。
村井相談役
必死になればなるだけで全然違う。これは、理屈じゃない。
お金は銀行に返したら金利もいらなくなるでしょう。だから、早く回収しようとするわけです。本当にお金がないと大変なことになる。まず、給料払えなかったら一番大変です。そう考えると必死になるでしょう。

2-3 企業理念が従業員に浸透するまで

佐々木
企業理念の話に戻りますが、「仕事はワクワク楽しく」を誕生させたとき、従業員の方はどういう反応だったんでしょうか。先程、堀場製作所の話がありましたが、その当時の社員はどういう反応されたんでしょうか。
村井相談役
あんまり反応なかったですね(笑)。
佐々木
反応なかったですか。意外ですね。
村井相談役
というのも、私は過去に自分の好きな仕事につけないという経験があったし、貧しかったし、仕事は辛かった。ところが、その頃の従業員は、そういう経験がないんです。
佐々木
もうその当時はなかったですね。まして、労働を罪と繋げる考え方など全くないということですね。
村井相談役
むしろ、仕事に就くことができるか、できないかの選択ではなく、どこでどんな仕事をしようかという選択。ネクタイ選ぶように仕事を選べる幸せな時代に入りました。だから、今さら「仕事ワクワク楽しく」ってどんな意味なんだと。中には、「仕事は楽しく」を、「仕事を楽に行う」と解釈していた人もいました。
佐々木
なるほど。「楽」という字はそのような解釈をすることも出来ます。
村井相談役
経営理念というのは、どんな経営理念でもそれを社員に徹底するというのは、とても大変なことだと思います。
佐々木
村井さんが、様々な経験をして、その想いを原点につくられた経営理念、つくるだけでも大変だった経営理念を従業員に浸透させるのはもっと大変ということですね。従業員に浸透させるために、どのような努力をされたのでしょうか。
村井相談役
もう繰り返し伝えるの連続です。まさに、あきらめないで話すこと、耳にたこができるぐらいに話続けました。「この前も言ったはずだ」、なんてもんでは全然ないほどです。当時は私は社長でしたが、「社長、その話はもう聞き飽きたよ。この前も聞いたばかりじゃないか」。と、私の顔が夢に出てるぐらい話しをしました。それでも、まだ半分ぐらいしか理解できていないと思います。
佐々木
例えば「仕事はワクワク楽しく」という言葉をもちろん伝え続けるのもそうですが、社員1つ1つの仕事を、これは「仕事ワクワク楽しく」だ、これが違うと1回、1回説明したりもしたのでしょうか。気が遠くなるような話になりますが・・
村井相談役
我々の行っている仕事(求人事業)はその人に合った仕事を沢山斡旋するわけでしょう。当時の私が強く思っていたことは、求職者が自分の好きな仕事に辿り着いてほしいということ。昔はなかなかそこに辿りつけなかった。でも、今だったら辿り着くことできるでしょう。沢山の人の人生が、その求人原稿をみて、仕事に就くことによってハッピーになる。それを想像しなさいと従業員にはよく言いました。

3 35歳までネガティブだった自分を変えたきっかけとは?

3-1 35歳までの村井氏が自分を変えたきっかけとは?

佐々木
村井さんは、35歳までネガティブだったとのことだったのですが、今の超ポジティブの村井さんを見るとネガティブな村井さんが居たことが全く想像出来ません。社長、会長職を退いて今なお勉学に励まれている姿を見るとネガティブのネの字もありません。
村井相談役
考え方ですね。確かに自分のそれまで歩んできた道に嫌な事も見てきました。それを跳ね飛ばす力がなく、悪い方、悪い方に悪循環に流れていました。当時は非常に暗いと思われていたのではないかと思います。
佐々木
何が、村井さんを変えたのでしょうか?35歳で人が変わり、村井さんのような人格者になれるなら、僕も変わってみたいです。僕は35歳を少々超えてしまっていますが・・・
村井相談役
若い頃の私の考え方は、単純で機械的でした。お金はお金持ちにしか集まらない、貧乏人は、いつまでたっても貧乏だと。そんな時に本屋で運命の本に出会った。クラウド・ブリストルという人が書いた「信念の魔術」という本でした。アメリカの本だからとてもストレートでした。なけなしのお金で買ったその本が、私を変えました。このような世界があるんだと。
アメリカの成功本をむさぼるように、読みあさりました。ポジティブシンキング、積極的思考で成功するとか。本の題名は違っても、皆そのようなことを書いていました。それを読んで、目からうろこでした。ジョセフマーフィーの「眠りながら成功する」もそのうちの一冊です。そこから、自分が変わった気がします。読書によって自分は変われたのだと思います。気付かないうちに、ネガティブだった自分からポジティブに考えられる自分がそこにいました。それからは、こじつけでも、ポジティブに考えるようにしました。
佐々木
僕も実は30歳まではネガティブな人間で、コンプレックスもすごかった。今でも全ては消えたとは思ってはいないのですが。ただ、村井さんのお話を聞いたり、本をお借りしたりして、どんどん考え方が積極的にシンプルになったと思います。考えることが脳にインストールされ、それが行動になり結果になる。考えることが良ければ、良い結果になるし、悪いことを考えれば、悪い結果になる。そうシンプルに考えると、とても楽になりました。例えるならパソコンのキーボードを入力すると、それ通りに作動するみたいなことでしょうか。
村井相談役
悩んでいる時は、内へ内へこもってしまっていて、何を考えていても悪い方悪い方になってしまいます。
佐々木
人間は誰もが明と暗をもっていて、ポジティブな人は、明の方が51で暗が49だと。100ポジティブな人がいたら、それこそ、空も飛べるはずと、ビルから飛び降りてしまうかもしれません。そんなギリギリのラインでポジティブとネガティブに分かれていると思うんです。世の中、圧倒的に見えることも、実際はそんなに圧倒的なものはありません。少しの差の積み重ねが大きい差を生むと、よく言われますが、ポジティブ、ネガティブの差もそんな感じなのかなと思います。だから、ネガティブになった時は、ちょっとだけでもポジティブに考えれば、ポジティブにひっくり返る。そう考えると、人はいつでも変わることは出来るかもしれません。
村井相談役
その通りかもしれませんね。

3-2 多くの人と書籍との出会い

佐々木
村井さんは、本を読みますが、読書が御自身の人格形成に役に立っていると感じていますか?
村井相談役
それはあると思いますね。積極的に本は読まないといけません。本より経験とも言いますが、何を経験したらいいかというのが分からない場合が多い。本を読んでいると知識が増すから、経験するヒントになるという点でも本は読んでいた方がいいと思います。無駄な動きも少なくなりますしね。
佐々木
話は変わりますが、昔は、「鬼の村井」と言われた時期もあったと。でも、今は神の村井、仏の村井と言われています。鬼の村井だった時期を少し話してもらえませんか。
村井相談役
そうですね。その場で2人くらい辞めてしまったこともありました。ただ、今から考えると、どうコミュニケーションしていいか分からなかったと思います。あなたのどこが悪いと伝えず、やったその結果が悪いとしかるのではなく、感情が高ぶり怒ってしまった。それは、失敗だったと思います。
佐々木
知識と言葉を得ることで、怒りと感情を抑えられるとある本に書いてありました。言葉を知らないから怒るしかないのだと・・・僕ももっと言葉と知識を得る必要があると痛感します。
村井相談役
そうだね。サプリメントがあるように、頭にも心にもサプリメントは必要で、1回飲んだからいいのではなく絶えず供給しなければいけないと思います。自分に合った本があったら徹底的に読むことが大切だと思う。ポケットに1冊の本を入れて、それを暗唱できるくらいにしていましたね。その本は、大島淳一(渡部昇一)さんの書いた「私はこうして成功した」という本です。その本は、文庫本の半分くらいで読みやすかったのですが、それをボロボロになるまで読み倒しました。
佐々木
僕も村井さんから、その本を頂いて何度も読んでいるのですが、村井さんが辿ってきた人生の道しるべが、本の文脈だと思うとワクワクしてきます。自分が尊敬している人、憧れている人と同じものを読むというのは重要ですよね。
本の重要性は村井さんに伝えて頂きました。それ以来、速読教室に通い、月に10冊前後の本を読むようになりました。だから、今いる若い世代の人達にも本の重要性を分かってもらいたいですね。

4 経営危機に直面!!

4-1 経営危機に直面した時、何を思ったか?

佐々木
先程、経営危機に直面して…という話をお聞きしましたが、経営危機に直面して、どように乗り越えたか?という話しを聞かせて頂いて宜しいでしょうか。
村井相談役
オイルショックの時代に、経営危機になりました。その時、求人は右肩上がりだったのですが、ジェットコースターのように下がりました。世の中が極端に不景気になって石油がないからものが作れない。全体的に不景気になったから企業が求人を出すことが出来なくなりました。
佐々木
当時は求人広告で多かったのは、どのような業種でした?
村井相談役
当時、多いのは建設業ですね。
佐々木
オイルショックの時は建設業も相当のダメージを受けたということでしょうか。
村井相談役
建築物の材料がなくなったため開店休業の状態でした。例えば、10億でビルを契約したのに、材料費が高騰しその価格でつくることができなくなり倒産する、そんな企業も増えました。
佐々木
そんな状況の中、どのように乗り切ったのでしょうか?
村井相談役
当時はリクルートと取引する前で女性週刊誌とリビング新聞が主な取引先でした。
女性セブンに6ページ、週刊平凡4ページ、一番売り上がったのは新年号でした。毎年、新年号は人気だったにも関わらず、その時かかってくる電話はすべてキャンセル電話。そんな中、リビング新聞の求人広告を営業広告に切り替えて、なんとか乗り切りました。飛び込みを中心に行い、新たなる顧客の開拓を行いました。
佐々木
当時、社員は何名くらいだったのですか?
村井相談役
その頃は30名位だと思います。
佐々木
そんな厳しい状況の中、村井さん自身が先頭切って飛び込み営業を行っていたと聞いています。

4-2 リクルートとの出会い

佐々木
リクルートと付き合い始めたのは、いつくらいからでしょうか?
村井相談役
その後ですね。(リビング新聞をはじめた後)当初、リクルートは新卒媒体からスタートした会社でしたが、やがて就職情報とらばーゆという中途採用媒体を創刊しました。とくにとらばーゆはあっというまに浸透していました。リクルートと付き合う前は、敵対意識をむき出しにして、「リクルートには負けない!うちの方が中途採用の分野では勝っている」と思っていました。しかし、だんだんお客様をリクルートに取られてしまって・・・そしてある日、ハンサムな男性に「村井社長」と声をかけられました。それが、リクルートのとらばーゆの編集長多田さんでした。本当にシンプルな口説き文句で「とらばーゆを扱ってください」等々言われ…ほんの20分で白旗を揚げてしまいました。
佐々木
本当ですか??敵対視していたのに、たったの20分で仲間として受け入れたということですね。その方は相当な人だったのですね。
村井相談役
ええ。その人は、そのぐらい魅力的だった。とらばーゆの編集長は、立ち上げの時の大功労者なんですね。色々なことをされて、リクルートを卒業されて、今はキャリアという技術者を主体にした媒体の社長です。
佐々木
その20分を見てみたいですね。
村井相談役
そんな多田さんに「村井さん、取引といってもいきなりですので、6ヶ月間ぐらい試しでやってみてください」と言われました。「うちのほうの実績を見せます。」と。
佐々木
多田さんが来る前は、リクルートに対して好意的な印象を持っていた訳ではないですよね?
村井相談役
いや、同じ求人という枠の中で、アイディア面・実績等々に感心していました。噂を聞いても、悪い噂は聞かない。社長の江副さんは「大変な人だ」と尊敬してましたしね。ただ、実際に仕事は取られるから、こちらも負けてられないと負けるな!と檄(げき)を飛ばしていました。
佐々木
その1つの出会いが、今の東京コンサルトが40年以上続いているということに繋がっているんですね。
村井相談役
繋がっていますね。

5 経営者としての村井氏

5-1 村井氏が追い求めた理想の経営者像

佐々木
村井さんは、経営者として様々な経験をされていると思いますが、村井さんの存在は、僕の中で「神様」に近い存在なのかなと思います。他の人でもそのような表現をする場合が多いです。しかし、以前、バリバリの経営者だった時の村井さんは、もちろんリーダーとして先頭を走っていた時期もあるわけです。村井さんのリーダーシップ論をお聞かせ願えますか?また、村井さんの中で、理想とされるリーダーはいますか?
村井相談役
一番尊敬する経営者としてのリーダーは、稲盛和夫さんです。だけど、稲盛さんは雲の上の人だと思っています。私の中では、松下幸之助さん以上に、経営の神様と言ったら稲盛和夫さんです。あの方こそ、まさに神様に近いと思います。私利私欲の無さ、それから、考え方がまっすぐで…尊敬するところがとても多い。どんなに努力しても稲盛さんのようにはなれない。そのくらいリーダーシップがあります。だから、本当のリーダーシップを語るなら稲盛和夫さんの域まで行かなくてはいけません。けれど私は、自信も無いし、そうする気も正直言って無かったですね。
佐々木
では、リーダーシップという表現ではなく、会社を経営する上で、いつも心がけていたことはありますか?
村井相談役
絶えずうまくいった、成功した情景をイメージすることです。それには、2つ良いことがあります。1つは、人間というのは2つのことを同時にイメージ出来ません。悪いことを考えると、もの凄いスピードで連鎖して悪いことが頭に浮かぶ。だから、朝の通勤時間に何か嫌な事を考えると、会社に着くまで、次から次へと悪いことばかりを考えているということがよくあります。35歳までの私は、典型的にそれだった。本当に、今では恥ずかしいぐらい、嫌なこととか憎らしい人をやっつけるための恨み節をブツブツお腹の中でつぶやいてた。けれど、無理矢理でもその逆を行こうと思ってね。時々ハッと気付くんです。ああ、またマイナス思考をしているということを。その時は、無理矢理、良い事を考えるように努力した。今でもそうですが、努力しないとダメです。人間は放っておくと、やっぱり悪いことを考えてしまう。心配な事とかたくさんあるじゃないですか?資金繰りとか、社員の定着とか。そんな悪いことばかり考えると、本当にそのようになってしまうような気がします。だから、良い事ばっかり考えるようにしています。2つ同時に考えられないから、良い事を考えると悪いことを考えなくなります。成功したイメージを頭に想像する。だから、イメージというものをものすごい大事にしています。

5-2 従業員に対してのリーダーシップ

佐々木
従業員に対しての接し方について、心掛けたことはどうようなことでしょうか。
村井相談役
そうですね。まだ理想は到達できないですが、会社の仕事を好きになってくれる人、会社の社風、企業風土を好きになってくれる人だけの集団にしたいと思っています。ちょっと、誤解を招くといけないから話しますと、好きになってくれる人=相性の良い人。相性というのは、モノに例えると、ジグソーパズルです。それぞれの形をしたピースがつながり、出来上がると綺麗な絵なる。私は組織というのはジグソーパズルをイメージしているんです。人間というのは、千差万別。みんな個性・顔・好みも違う。でも、ジグソーパズルの1つだけ見ても何だかわからないけど集まると理解できる。人間というのは、そういう存在だと思います。その人間が集まって、1つの組織を作るということは、理想的には完成したジグソーパズルになるということ。そういうものを作ろうと思って、どの組織も苦労し、努力していると思います。ただ、ジグソーパズルと違って、人間は自分で自分を変える能力がある。ジグソーパズルは物体だから、変えられないけど、人間の場合は変えることができるんです。理想を言うと、従業員全てが採長補短であり、長所を伸ばし短所を補って、自分で変わることができる。そして、結果的には1つの組織をつくり上げる。そうなると、自分の個性が一番伸ばせる会社になるのです。それこそが“仕事はワクワク楽しく”なんですね。そうなると、結果的には会社の業績が同じ労働時間で、同じ努力をしても、業績は何割も、あるいは何倍にも伸びると思います。理想的なことを考えるとそうなんです。だから、東コン(東京コンサルト)もそういう会社になってほしいということを、今でも凄く思っています。
佐々木
社風という話が出たんですけど、社風は、僕の考え方が間違っていたら申し訳ないんですけれども、やはり、トップがつくるものではないかなと思うんです。それほど、トップの人間の影響は大きい。
村井相談役
これは、誰か有名な方が言っていましたが、30人の社員を抱えている会社の社風は、100%社長。200人以上だと、98%が社長ですね。
佐々木
30人も200人も、あまり変わらないんですね。
村井相談役
ほとんど変わらないですね。つまり、すべて社長が決めるわけです。業績も社風も。これは、ある方の講演で聞きましたが、「あの会社は良い。」「あの会社は悪い。」という表現は、とんでもない間違いで「良い社長か。」「悪い社長か。」これだけですと。講演を聞いていた1,000人もの中小企業の社長が、みんな怖くなってましたよ(笑)

5-3 社長・経営者の決断力

佐々木
社長は、決断というのが重要な仕事ですが、村井さんから「衆議独裁」という言葉を頂いて、僕はその言葉を心の奥まで深く刻み込んでいます。色々な人の意見を聞くのはすごく重要だけど、決断するのは自分だということ。
最後は、自分で責任を取るということですが「衆議独裁」ということも常に考えていた事の1つですか?
村井相談役
他人様の体験談とか、歴史を創った人の伝記で勉強しました。それまでは、何が正しいか分からなかったけど、やっと正しいと思えたのが、この「衆議独裁」という言葉です。
最近、民主的経営が多い中このような言葉はほとんど流行らなくなってきています。リクルートはもともと創業者江副浩正さんが東京大学で学生時代に創業した会社です。
それと同じくして京都大学の学生達が立ち上げたローマ字の会社がありました。同じような新卒採用の求人をする会社でした。マスコミからすれば、東京大学対京都大学ということでネタになりやすく、よく雑誌などでも取り上げられていました。リクルートが勝つかそのユニークな会社が勝つかと。ある時、そのユニークな会社が経営雑誌で取り上げられていました。社長を選挙で選ぶ決断をしたという内容で、これは記事としてものすごく良いものでした。社長以下、何人かの社員さんがニコニコして写ってる写真。
しかし、これは違うんじゃないかと私は思いました。そんなことをしたら銀行が金を貸さない。当時、銀行は社長の担保というのが絶対に必要と要求していました。優秀だけど、財産も不動産も持っていない社長なんかに銀行は金を貸す?そういうような現実的なことから考えてなくてはいけない。と瞬間的に感じ、だから「これは間違いだ」と思いました。
それから、もう1つ。民主的にやっているので多数決で物事を決定していると書いてありました。これも私は絶対に間違いだと思います。なぜかというと中小企業の社長は、お金を借りるのも自分の運命を担保に出します。そんな状況で中小企業は資金繰りを行っているわけです。もし、返せなかったら、銀行はパッと家を押さえ競売にする。これは無残です。例えば、前の日まで、出入り業者が「社長、社長」とお世辞をたらたら言ってても、それが一旦、手形が不渡りでお金を払わないともなると、まさに一斉に手のひらを返したように債鬼になる。社長は、すごい責任を負わされていますから。代表取締役というのは、借金の代表だろうなと私は思いました。権限なんてたいしたこと無い。だけど、責任は重い。一身に背負う。責任者はそういうことなんです。社長というのは、海の中へボロボロの小船で乗り出して行くのと同じです。船に穴が開き沈没=売り上げが少なければ倒産する。そしたら落ちて死ぬのは当たり前。しかも自分一人ならいいけど、家族、連帯保証人も巻き込む。もう何回も見ていますけど。そこまで社長というのは責任を持つものです。
だからこそ、「衆議独裁」なのです。衆議院の「衆」。これは、沢山の意見を聞くことが大事だということです。でも、意見が多いものをやるなんて聞いたんじゃ話にもならない。要するに情報収集なのです。

ビューティーナビで言ったら、今のビューティーナビの画面を見て、佐々木さんがどう評価しているか。もっと大事なのは、ユーザーの女性たちが競合と比べてどう思っているか。本当の情報を集めないと怖いですね。だから、衆議というのは、情報を集めること。なるべく多くを聞いて、最後に何かを右か左かをジャッジするです。
しかし、最終的には自分の判断で100%決めなくちゃいけない。自分で決めるから責任を取らなければいけません。正しい判断をするために少しでも多くの情報を集め、考えて考えて考え抜きそして自分自身で決断するのです。経営者はどうしても分からない時は、割り箸を出してやるかやらないかを決めたりという話も聞きます。そういうことが堂々と本に書いてある。でも、私もその気持ちが分かります。それから、良くあるのは占い師に判断を仰ぐ。そんなことをしてまで自ら決断をしなければいけないと思うのです。「衆議独裁」というのは、社長だったらそれ以外にはあってはいけないと僕は思います。最終的に決裁するのは社長でなければなりません。正に「独裁」です。
佐々木
衆意独裁と言う言葉は、経営者にももちろん大切ですが、リーダーやまとめる側の人間にとっても大切なことですよね。
メンバーから意見を聞いて、自分の考えでやっていかないといけないと難しい部分があると思います。
村井相談役
経営者はとくにそうだと思います。
佐々木
村井さんはあまり欲が見えないのですが、物欲やお金の欲などがありましたか?
村井相談役
自社ビルを建てることや上場することにあまり興味がないです。別荘とかも興味がないですね。
やっと分かったのは、そういう能力がないこと。車を持とうと思ったこともありませんし。そもそも車に関する興味がないのです。
「仕事はワクワク楽しく」という会社を作りたい、そのことを想像するくらいしかない。
そう思ったのも35歳からで、今までそういう判断をしてきたから、例えばポルシェが好きな人、そういう人は車関連に興味があり、直接販売職には就かぬとも車関連に強くなる。そうするといつかその車の知識が活かせるんですね。
何か自分に合ったものってあるんです。自分の潜在意識にある能力に合わせて仕事をする。それが一番幸せなことだと思います。
ワクワク、燃えるようなことはその人に対して能力がある。ただ、対抗意識で物事を行うと危ないですね。
佐々木
モノとして興味があるないもありますが、ステータスとして興味が出てくるパターンも多いですよね。
村井相談役
そうですね。その点を考えると、政治家になろうとは思いました。政治家に興味があるとかはあるので。
あとは、軍人になりたいと思っていたこともありました。だから欲求がないわけではないですね。
佐々木
今、綱渡りでやってきたケースが多いと思いますが、運って大切だと思いますが、それを感じられますか?
村井相談役
運は人並みにはあると思います。健康面で、3、4回死にそうなこともあった、でも結果的には、何が良いかという判断です。運が良い人っていうのは、自分が潜在的に持っている能力、それに気がついてそれに進んだ人は多少の挫折があっても大丈夫ですね。

6 従業員に送り続けた愛のメール

村井より愛を込めて”のメールを送り続けた理由

佐々木
“村井より愛を込めて”のメールを送り続けた理由ということで、僕は受け取ったことがなかのですが、これを送られた理由は気持ちを伝えたいということなんですか?
村井相談役
今話したような内容を社員に伝えたかったんです。エピソードを書きました。信頼はこうゆうこと、とか。いろいろなことを書きました。歴史上の数々のエピソードで、なるべくぼくの思いを正確に伝えようと努力したつもりです。
佐々木
仕事がワクワク楽しくを主体に伝えたいことを書いたと言うことですか?
村井相談役
そうですね。今までの体験や読んだ本のエピソードを書きました。
佐々木
35歳までの村井さんだったら“村井より愛を込めて”のメールなんて送れなかったですよね。
昔とは真逆というか。。。

7.40年、経営に携わって… 40年を振り返って今思うこととは?

7-1 思い描いた理想の(株)東京コンサルトと、現実のギャップとは?

佐々木
今まで経営者としてやってきて、満足していますか?
村井相談役
そうですね。
佐々木
40年を振り返って、やりきれなかった悔しさを思い出しますか?やったことの充実感を思い出しますか?
村井相談役
そうですね、両方強いです。自分ができなくて悔やんでどうしようもないこともあります。
良い経営者というのは人に対する心です。

7-2 次世代の経営者に願うこと

佐々木
村井さんのことはみんな愛していますよね。他の経営者をそこまで知らないですが、村井さんほど愛されている経営者はいないのではないかと思います。
村井相談役
それは一番いけない事なんです。リーダーは、愛されてはいけない、怖がられる君主になれと言われています。本当は両方あるといいですけどね。
僕は東京コンサルトを原田さんに任せるのだけれど、自分の限界がつくづくわかった。だからあとは原田さんの器量で原田さんが考えることでやっていってほしい、今は全株売ってしまって、僕は無縁になってしまった。それはぼくが出来る唯一の最後のことです。
東京コンサルトに対する「愛」だと思ってもらえると幸です。
佐々木
創業者の方ってそのような潔い決断は出来ないですよね。
佐々木
経営者の原田さん、ビューティーナビにいる人間に対してどのような会社にして欲しいとかいう思いはありますか?
村井相談役
基本的には仕事はワクワク楽しくという企業風土は、ぜひ作って欲しいと思う。僕は完成することがなく譲ってしまったから。
あとは今までにこだわらず、原田さん自身が、自分探しをしてそれに果敢にチャレンジしてもらいたいと思います。
例えば、上場して楽しいと思うのであれば、それは原田さんにその能力があることだから果敢に挑戦して言って欲しいと思います。
あるいはビルを建てても良いと思います。原田式経営理念というのを立てて欲しいと思います。
佐々木
でも、今いろいろな話をきくと、遣り残したことはないという風に伝わってきますね。
村井相談役
遣り残したことがないというのはかっこいいのですが、自分の能力は精一杯だと。だから、ひとつだけ結果的に昔の思いは成就したと思います。
だから、一生懸命想像していることは正しかったんだなと思います。原田さんに完全に経営を任すことができたというのは、そういう思いからきていると思っています。彼との出会いは、彼が出向で着ていなければなかった。出向制度を創ってくたのはリクルートの現副社長のおかげですね。そういう、感謝ということを思っているとそれが返ってくる。
最初に出向で来た二人が東コンに新しい血を注入してくれた。それから何人か出向者が来てくれたが、その中に原田さんがいた。原田さんはぼくとの相性も良いだけでなく、東コンの次世代を担う若い幹部諸君から心服されていると気がついて、迷わず後継をお願いしました。

8 これからの人生設計図 終わりのない夢

佐々木
最後ですが、これからの人生について教えていただけますか?今一番何をしたいですか?
村井相談役
そうですね。これはあまり言っていないのですが、江戸歴史検定という試験を受けてみようと思っています。
佐々木
そうなんですか!江戸ってとても深くて歴史もあるから、大変ですよね。
村井相談役
見たことも聞いたこともない問題がでるんですよ。例えば、江戸時代の快速船の名は?とか。
佐々木
知るわけないですよね。
村井相談役
そんな問題ばかりなんです。文化以外にも経済も出るんですね。昔、おそばは何文だった?とか。
佐々木
それ、経済なんですね。
村井相談役
しかも4択がほとんどだから考えすぎてみんな落ちちゃうんですよね。
落ちると、悔しくって勉強するんですよね。今年はテーマが決まっていて、20%はある人のテーマででるんです。そのテーマが【将軍と大奥】。今流行っていますからね。将軍が日常住むところは?とかもでます。
合格は80%ですからね
佐々木
そうなんですね。
村井相談役
しかも、僕は欲張って、2級と3級を受けたんですね。おかげさまで2・3級に合格しました。
佐々木
級もあるんですね!
村井相談役
それにチャレンジしたんですけど。
佐々木
受けられる人ってそんないるんですか?
村井相談役
いるいる!沢山いますよ。神田で関連講座があったのですが、抽選でした。講座自体が。
江戸時代は割かし平和な時代だから、文化も沢山生まれていますよね。でも、今も平和だけど、ひとが作る文化ってないですね。だから、文化を発信している江戸時代を勉強したいという人が多いのですかね?
村井相談役
まったく今の時代には役に立たないですけどね。でも、今、歌舞伎検定とかもありますからね。
佐々木
他に、例えばどこか行きたいとかいう願望はありますか?
村井相談役
そうですね、前は、よく行っていたのですが、今は億劫になっていますね。今、行きたいのはオーストリアのウイーンやハンガリー、ドイツ。ヨーロッパに行きたい。アメリカはあまり行きたいと思わない。ヨーロッパはあれだけ戦争してめちゃくちゃになったはずなのに、17世紀の建物が残っているんです。キレイに修復されているんですね。その中で1つ、当時受けた打撃を残したりしている。そういう文化に惹かれますね。行きたいのはそこだけですね。後したいことは、健康を考えて史跡散歩をしようかなと思います。普段何気なく歩いている街にも歴史があって、見え方が変わります。いろいろなことを想像しながら歩くというのもとても良いことです。
佐々木
江戸歴史検定を取っていただいて報告してくださいね。
村井相談役
そうだね。ただ報告がなかったら合格できなかったと思ってくださいね。

9 全ての人々に伝えたいメッセージ

佐々木
最後ですが、これから次世代を担うすべての人たちへのメッセージと言うことで、願いが叶う思いは叶うというメッセージ頂ければと思います。
村井相談役
これは、願えば叶うというのを信じてもらいたい。最近気がついてのですが、どんなことでも願いが叶うと僕は思っていた。でもそれは間違っていました。願って、それが本当に自分の胸の中でメラメラ燃えていれば叶うと思う。根気良くあきらめなければ叶うと思う、そういう願い続けるプランが必要だと思う。いろいろなことをやってみるといいと思う。
ただ、人がしているからするという粗略な願いだったらやめた方が良い。だからどの願いが向いているかと発見するのは大変だと思う。自分探しですね。
ひとつの良い方法は、エニアグラムというのがあるんですね。自分がどんな人間なのかというのが探せる研修があります。まず、20の質問があります。人間には9つのタイプがあるそうです。自分のタイプを大分類で見極めます。その後タイプ別にグループをつくり、与えられたテーマについて討論するんですね。それで、討論から自分以外の人について違うなと考えたら違うグループに行き、最後にしっくり来るグループがあるというものなんですね。そこが本当の自分のタイプなのです。これが、「エニアグラム」というものなんです。もし機会があったら研修とか行ってみてください。
そこで自分を知る自分探しを出来るんです。
昔、ある宗教で口伝えで宗教を伝えていく、というマネージメントの手法があります。
それを心理学の先生が発見して、作りなおしたのが「エニアグラム」。
経営手法、人事手法と言う形ですね。
佐々木
自分探しをした後に、願いを強く持ち叶えるということですか?
村井相談役
そうですね。僕の分類は「規則にしっかり合わせるタイプ」ということでした。
9つのタイプによって適する職業があるんですね。
願いは叶うということ、あとは自分探しは資産の一つです。いろいろな方法があるから色々と話して欲しい。
まずは自分探しからスタートし、コレだ!というものを発見し、願い叶えるサクセスストーリーを作って欲しいですね。
僕は70年かかって自分を理解することが出来ましたね。同じ自己啓発本を読んでも感じ方が違うのはその「想い」が違うということなんです。
自分探しで悩んでいる人は、見つけるっていうことを願うのが大切だと思いますね。願うとそういう本が目に飛び込んできますからね。有名な調査資料があります。アメリカで100人の学生に夢について語りなさいと言わせた。そうしたら、具体的な内容を話す生徒がいた。
それを25年間追跡したところ、成功者は3名いた。その3名は、はっきりした目標をちゃんと話していた生徒は3人しかいなかったそうです。
その3人の年収が他の97人の年収を足したよりはるかに多かった。
だから、みなさんも具体的な夢を持ってがんばっていって欲しいと思います。
佐々木
すごい話ですね。とても為になる話を沢山ありがとうございました。
村井相談役
ありがとうございました。

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